2023年1月19日~1月29日に開催されるサンダンス映画祭。アメリカのエンターテイメント業界で成功する足がかりとなる映画祭の1つです。サンダンス映画祭の時期が近づいてきたので、この映画祭をきっかけに成功した監督について見ていきたいと思います!
サンダンス映画祭とは?
1978年から毎年1月に、アメリカのユタ州パークシティで開催されている映画祭。
俳優のロバート・レッドフォードが創立し、映画祭の名前は自身が主演した映画『明日に向かって撃て!』のサンダンス・キッドにちなんでいます。
ロバート・レッドフォードは俳優だけでなく監督業もこなし、1981年の監督デビュー作『普通の人々』でいきなりアカデミー賞を獲得する偉業を成し遂げています。
サンダンス映画祭では約200本のインディペンデント映画が上映され、数多くの俳優や監督がこの映画祭をきっかけに成功しました。
いまやサンダンス映画祭は、映画界で成功するための登竜門になっています。
サンダンス映画祭の意義とは?
サンダンス映画祭は選りすぐりのインディペンデント映画を観られるのと同時に、まだ無名のこれからの世代を担う新進気鋭の監督や俳優たちの才能を発見できる映画祭です。
『レザボア・ドッグス』『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』などサンダンス映画祭で話題になり、大ヒットにつながり興行的にも大成功を収めた作品がたくさんあります。
映画界において、新しい才能を発掘するための貴重な映画祭となっています。
サンダンス映画祭で注目されて成功した監督たち
ジョエル&イーサン・コーエン
1985年に『ブラッド・シンプル』でサンダンス映画祭のグランプリを獲得。インディペンデント映画界で注目される存在となり、コーエン兄弟の監督作はハリウッドの作品とは一風変わったユニークな作風が特徴です。
その後はメジャー作品を手掛けるようになり、『ミラーズ・クロッシング』、カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した『バートン・フィンク』、その他にも『ファーゴ』『ノーカントリー』『トゥルー・グリット 』などのヒット作を生み出しました。
メジャーな監督になっても独特の作風はそのままで、ハリウッドの中でも異彩を放っている監督です。
スティーブン・ソダーバーグ
1989年に『セックスと嘘とビデオテープ』がサンダンスで観客賞を受賞し、その後史上最年少でカンヌ映画祭のパルムドールを受賞しました。
この映画の成功が、地方の映画祭に過ぎなかったサンダンス映画祭が一気に脚光を浴びるきっかけになりました。
スティーブン・ソダーバーグの成功が、サンダンス映画祭をインディペンデント映画を紹介する映画祭から新しい才能を発掘する映画祭へと変えたと言っても過言ではありません。
その後も『アウト・オブ・サイト』『エリン・ブロコビッチ』『トラフィック』『オーシャンズ11 』など数々のヒット作を手がけ、ハリウッドでの地位を不動のものとしました。
クエンティン・タランティーノ
1992年のサンダンス映画祭で、初監督作『レザボア・ドッグス』で衝撃的なデビューを飾ったのがクエンティン・タランティーノ。
賞は逃したものの、強烈なバイオレンスと独特の世界観がカルト的な人気を集め注目の若手監督に躍り出ました。
2作目の『パルプ・フィクション』でいきなりカンヌ映画祭のパルムドールとアカデミー賞脚本賞を受賞し、その名を世界に知らしめました。
その後も『キル・ビル』『イングロリアス・バスターズ』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』など数々の傑作を世に送り出しています。
タランティーノ監督のすごいところは、自身の全監督作品の脚本も手がけているところ。
自分自身の脚本を自ら監督することで、彼ならではのマニアックで他のハリウッド作品とは一線を画す作品を作り上げています。
ロバート・ロドリゲス
1993年に製作費たった7000ドルで制作した『エル・マリアッチ』が、サンダンスで観客賞を受賞。ハリウッド大作のように巨額な製作費をかけなくとも、優れた作品が作れることを証明しました。
公私ともに仲良しのクエンティン・タランティーノとよく比べられましたが、その後はファミリー向け映画の『スパイキッズ』シリーズを監督。
タンティーノ同様にロバート・ロドリゲスも脚本家としても優れ、自身の監督作品のほとんどを担当しています。
ポール・トーマス・アンダーソン
1992年の短編映画『シガレッツ&コーヒー』がサンダンスで注目され、サンダンス映画製作のラボに招かれました。
1997年のポルノ業界を描いた映画『ブギーナイツ』が高い評価を受け興行的にも成功し、主演のマーク・ウォールバーグをスターダムに押し上げました。
その後は『マグノリア』『パンチドランク・ラブ』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』などの秀作を監督しています。
彼も脚本家として評価が高く、『ブギーナイツ』『マグノリア』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』でアカデミー脚本賞にノミネートされています。
ブライアン・シンガー
1993年の『パブリック・アクセス』でサンダンスのグランプリを受賞。1995年の『ユージュアル・サスペクツ』を監督し、最後の最後まで観客が騙されるストーリーが話題を呼び大ヒット。
主演のケビン・スペイシーを一躍有名にしました。その後は『X MEN』シリーズや『スーパーマン リターンズ』などの大作を手掛けています。
2018年に世界的に大ヒットした『ボヘミアン・ラプソディ』を監督しましたが、撮影終了目前で降板し話題になりました。
エドワード・バーンズ
1995年にサンダンスでグランプリを獲得した『マクマレン兄弟』を脚本・主演・監督し、興行的にもヒットして一躍注目を浴びました。
その端正なルックスから『プライベート・ライアン』などで俳優としても活躍して、自身の監督作品には必ず出演しています。
彼が監督した『彼女は最高』のエグゼクティブプロデューサーは、ロバート・レッドフォードが務めています。元スーパーモデルのクリスティン・ターリントンと結婚していることでも有名です。
デヴィッド・O・ラッセル
1994年の『Spanking the Monkey』が、サンダンスで観客賞を受賞。1999年のジョージ・クルーニー主演の『スリー・キングス』が大ヒットしました。
その後は10年間ほどめぼしいヒット作はありませんでしたが、2010年の『ザ・ファイター』で復活。アカデミー賞で7部門にノミネートされ、高い評価を受けています。
2012年の『世界にひとつのプレイブック』ではアカデミー賞8部門にノミネートされ、ジェニファー・ローレンスにアカデミー主演女優賞をもたらしました。
リチャード・リンクレイター
1988年の監督作『 スラッカー 』がサンダンスで脚光を浴び、次作の青春映画『バッド・チューニング』がスマッシュヒット。
当時まだ無名だったマシュー・マコノヒー、ミラ・ジョヴォヴィッチ、ベン・アフレック、レネー・ゼルウィガーが出演しています。
イーサン・ホーク主演の『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離』で、ベルリン国際映画祭監督賞を受賞。
2014年の『 6才のボクが、大人になるまで。』では、2002年から2013年まで12年間をかけて主人公の青年の成長を撮影したことで話題になりました。
この作品はアカデミー賞で6部門にノミネートされ、 パトリシア・アークエットが助演女優賞を受賞。イーサン・ホークはリンクエイター作品の常連で、5作品に出演しています。
ダーレン・アロノフスキー
1998年に監督作『π』がサンダンスで最優秀監督賞を受賞。『レクイエム・フォー・ドリーム』『レスラー』『ブラック・スワン』などの話題作を監督。
『レスラー』ではキャリアが低迷していたミッキー・ロークに、ゴールデングローブ賞主演男優賞をもたらしました。
『ブラック・スワン』はアロノフスキー監督作のなかで最も興行的に成功した作品で、ナタリー・ポートマンは『ブラック・スワン』の演技でゴールデングローブ賞とアカデミー主演女優賞受賞を受賞しています。
デイミアン・チャゼル
2014年の脚本&監督作『セッション』がサンダンスでグランプリを獲得。第87回アカデミー賞で5部門にノミネートされ、 J・K・シモンズがアカデミー助演男優賞を受賞しました。
まだ37歳と若い監督ながら、サンダンスのグランプリ作品が世界中で絶賛され数々の賞を受賞する快挙を成し遂げました。
2016年にライアン・ゴズリング主演のミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』が、アカデミー賞の14部門にノミネート。
史上最年少で、ゴールデングローブ監督賞とアカデミー監督賞を受賞したのは記憶に新しいです。チャゼル監督も『ファースト・マン』以外は、全て自身の監督作品の脚本も手掛けています。
まとめ
こうやって見るとそうそうたる顔ぶれで驚きます。サンダンス映画祭が、いかに才能のある監督を輩出してきたかが分かりますね。
サンダンス映画祭をきっかけに成功を収めた監督たちは、監督だけでなく自身の作品の脚本も手がけている人が多いのが特徴です。
これからも次世代の優れた才能を発掘する場として、サンダンス映画祭に目が離せません!
参照記事:
15 Careers That Were Made at the Sundance Film Festival